令和と日本国旗
元号が平成から令和になったので、
ボクのこれまでの経験と日本という国の国旗に因んだ話を記念に少し書いておきます。
日本の国旗は白地に真ん中が赤丸です。
大きく見ると地球を俯瞰し、世界各国と国を形成する小さな集団である自治体や個人を考えた時、
今でこそ明るみになって来た、
我々が知らなかった歴史や国を背後で動かす影の世界政府の存在から、国際資本から近所のガキ大将女番長まで等しく、
日本の国旗が本質を示しています。
我々は、生まれた瞬間からガキ大将やら女番長やら身近に支配をして来る存在が居ました。
自分を支配して来る存在が目の前に近づくと、つい支配をしてくる彼、彼女しか見えなくなります。
支配を企む者は、極力自分を大きく見せ、
逆らったら承知をしないぞと脅してきたり、または優しく洗練された人間の代表のような顔と身振りをするものです。
我々は赤丸に囚われやすい存在ですが、少し周囲を見渡すと白地の広大な敷地が広がっているんです。
ボクはあなたを誘導しません。
赤丸に捉えられ
小さな世界の価値観でモノを見て、納得したいならそれは自由。
ボクは筋金入りだから学校で出されるテストを殆ど白紙で提出したし、評価も最低でした。先生に引きずり回されて怒られたことが何度もある。
周囲のみんなと同じことをしないとして、同級生から殺されそうになったことすらある。でも、ボクは学校という他人が作った、
どこかのおっさんの導きを必要としなかった。
脳は考える為にあり、学校に行って洗脳され、利用されて誰かを裕福にするためにあるんじゃない。
自分が生きて行く過程に
あくまで他人があって、そこに互恵関係が見いだされることはアリだが、他人が単に肥えるだけなら協力する必要はない。
我々は、とかく自分の赤丸と他人の赤丸に囚われやすい存在だが、
外に目を向ければ真っ白なキャンパスが描き手を待っている。
その真っ白のキャンパスでさえ、囚われたりしない環境が整備されている。囚われるのも囚われないのも
使い手次第ということです。
令和のはじまりに。